26
地中深くの岩盤窟の中。亜麻色の髪をした白魔導師が、咒を唱えることで珠にまとめ、そのまま宙へ幾つかを漂わせた明かり代わりの光の球がなくても構わないほど、ここは赤みを帯びた明るさと灼熱に満ちていた。火山帯でもないのに、岩盤の裂け目から轟々と噴き出していた巨大な炎の柱と、そこから降り落ちる火の粉とが、窟内を炙りながら、岩壁をほんのりと明るく照らしてもおり。そして、そんな中。
『こいつが君を傷つけたり、
あまつさえ、妖一たちを追ってって向背から襲ったりしては困る。』
ここがそんな状況である原因とやら、既とうに見澄ましていたと言い放ち、それだからこの場へ残ったのだと、どこか強気に笑って見せた桜庭へ、
《 久しいの、ハルト。何ともみすぼらしい恰好に収まっておるよの。》
どこからともなく轟いた、何とも不思議な声があって。それをこそ待っておりましたと、言わんばかりに、にやりと笑い、
「そっちこそ、くっだらない輩と結託していたもんだよね。」
「いよいよ地に籠もり切って永遠に外へは出て来ないつもりかい?」
対等の口利きをし、煽るように斬りつけたところ。やかましいわとあっさり喰いついて来た相手は、そのまま正体を現して。質量はあってないよな炎と違い、それなりの嵩のある存在が足元の岩盤をこじ開けながら出て来たがための軋み。結構な広さのあった窟内を大きく震わせながら、ぬうと姿を現したのはなんと………、
「………ドラゴン?」
精霊たちの長だとか、自然世界のあらゆる現象、若しくは元素の象徴にもされるほど、絶大な力や尊厳を冠される偉大なる存在。とはいえ、あくまでも“象徴”であって、聖なる大地の気脈がいまだに信奉されているこの大陸であってさえ、そんなものは実在しないと言われて久しい。人々が教えを解くときの都合上、自然というものがいかに大きな力や神聖さを持っているかと表す引き合いにと作り出した、架空の生き物…とされている筈だのに。
「あ…ああ…。」
全身を晒すには空間的に無理があるものか。瞼のない目、鱗化した皮膚。顎全部が大きく裂けている凶暴そうな口 等々。爬虫類と酷似した部分の多い、長くて厳つい顔に。大の大人の身の丈と同じほどだろうか、巨岩を思わせる牙と爪。長い首の据わりし肩か胸か、そこから上というだけの露出だけでもう、ちょっとした城の楼閣ほどはありそうな。威嚇には十分なくらい、そりゃあ巨大な存在であり。
「あ、あれも僧正が召喚したのか?」
単なる精霊とは桁が違うということくらい、大地の精霊たちに関わる咒力には縁が薄かった一休にだって判るというもの。ここまで神々しいものまでも召喚出来るだなんて、これはもう誰の歯も立たないのではなかろうかと感じたらしい、ある意味で判りやすい慌てっぷりだったけれど。
「どうだろね。」
そんな彼へと応じてくれた桜庭は、だが、さして深刻そうな様子ではないのが意外。そこいらにひょいひょい居るような相手ではないというのに、怖じけるような気配は微塵もなく、
「こいつは確かに大きな龍族で、精霊としての格ではランクも最上級だけれど。だからって神様や象徴様として敬われるほど、そこまで仰々しい精霊かどうか。」
相手の耳さえ恐れぬままの、ごくごく普通の声音にて。そんな挑発的なお言いようを、何とも涼しげなお顔で繰り出している。というのが、
「きっとこいつは大昔、誰か聖なる人にこの地へと封印されたんだ。」
誰かによる封印? それって…。
「何かしら悪戯をしたのが目に余ってのいわば“おしおき”を喰ったってこと。勿論、伝説に名前が残ろうかってほどもの、よっぽどの力量ある術師が手掛けたんだろうけれど。つまりは…人間がひょいってひねれた程度の格なのさ。」
火山に縁のない土地だからこそ封印の効果も大きかろうと、わざわざ本来の在所から引きはがされての対処に違いなく。
「そこへとやって来たのが、君らを率いていたあの僧正。大方、手伝ってくれたら悪い扱いはしない。負世界から招く予定の太守とやらと共に地上を治めようぞくらいは言われて、唆されたんだろうよさ。」
きっとそうに違いないと、力強く断言する桜庭の言に、
「…それって。」
やっとのこと、一休少年にもコトの順番が理解できた模様。すなわち、
「そう。聖なるこの地の外から、途轍もない咒力によって呼ばれた訳じゃあないってことさ。…違うかい?」
体は正面へと向けたままだった桜庭が、そのお顔を振り上げて見上げた当のお相手。声を潜めてなんていなかったのだから、聞こえなかったはずもなく。
《 うぐぅ…。》
猛獣の唸りを思わせるような低い声を、ごろごろと喉奥で響かせているのみであり。これはどうやら図星であった模様。
「大方、此処でだけ力を使えるようにと、生気の補充でもしてもらったんだろうさ。そして、奴が大望を叶えた暁には、ともに地上へと躍り出ようぞとでも言われたか?」
こうまで言われてはさすがに腹が立ったのか、それともあまりに図星が過ぎてのご乱心か、
《 やかましいと言うとろうが。》
ごごご…という重い地響きを伴って、洞窟いっぱいに鳴り響く大声を上げる、無頼の竜であったものの、
「大上段に構えたって無駄だよ? それに、確かに今の僕は、見た目は人間の器に収まっているが、だからって舐めてもらっては困る。」
ぱちんと、堅い音がして。その音のしたところへと一休が視線を向ければ、いつの間にか、桜庭はその両の手へ何かを握っている。あまりの早業だったので見落としたが、その何かは彼の導師服の袖からすべり出て来たもの。ずっとそこへと仕込んであったらしく、一見すると細長い形状なのが、ショードソードを改造した短めの剣のようにも見えたが、そんなもの、剥き身で仕込んでおくなんて危ないにも程がある。刃のない武器、雲水が得手にしている棍棒か、阿含の得物、サイやトンファーかとも思ったが。真ん中よりも下、軽く握っていたその手をパッと大きく開くと、その道具もまた、細長かった棒状の形から彼の指を開いた手の形に添って扇形に姿を変えたから。どうやらそれは“鉄扇”であったらしく、
《 そんな玩具、一息で砕いてくれるわっ!》
窟内いっぱいに鳴り響く胴間声と共に、ヴァッとこちらへ向けて投げつけられたは、人の頭くらいはあろうかという炎の塊り。
「うわぁっ!」
炎だけならこうまでの翔び方はしなかろう。核になっている岩があっての速さに乗って、結構な勢いで飛んで来たそれだのに。桜庭は平然としたまま、真っ向から相対し、
「哈っ!」
鉄扇の骨の根元をまとめる“要かなめ”のほど近く。平たく開いていた扇面を支えて、そちらもまた開いていた手のひらの、その長い指を次々に、拳へと引き込んで握り込めば。扇面がヒラリと宙で返って、剣で言うところの逆手持ちとなる。それは優美な所作の一閃、左右を同じの逆手に返し、そのままの流れでもって、両の手首を顔の前にて重ねれば。それぞれの前腕に添った格好で2枚の鉄扇が、桜庭の長身を余裕で覆っての盾となり。微塵も動じぬままの素早い動き、ひょいっと屈んだことで鉄扇と自分の体とで、背後に立ち尽くしていた一休を余裕でカバーしての障壁役をこなし、表面が鎔けかけていた炎岩弾は、覆っていた炎の消滅と共に、いとも容易く砕けて消えた。
「…うわぁ。」
閉じていれば棍、開けば強靭な盾にもなる、二つで一対の優れもの。しかも、再び扇の向きを変え、持ち替えたその動きの端。小さな小さな何かが飛んで、それが少年の頬へと当たったが。
「え? 水?」
棒状の時は前腕と同じほどの長さしかなかったものが、扇形に開いた途端、彼の腕全部ほどもの長さへ、その差し渡しが伸びている。その伸びた部分というのが、よくよく見れば…水の膜。循環型の噴水のようにずっとあふれ続けているというのとも少々違い、ずんと透明なゼリーで出来ている膜のようになって、そこへと留まっているではないか。
「それって…。」
この人も、此処ではないどこかから、そんな力のある不思議な水を召喚出来るということだろうか? 意外な事実へ息を引いた一休だと気がついて、
「ああ。これはこの場にあった“水”を集めたものだよ?」
簡単な言いようで説明してやる桜庭で。
「…湿気、ですか?」
「う〜ん、微妙に違う、かな。」
これが東洋の話だったなら5つの、西洋では4つの。
「どんな場所にも水、風、炎、土という要素は存在する。つか、世界はその4つの“エレメンツ”で構成されている。」
気道を取り入れた気功術なんてのを使えたくらいだから、それは知ってるね? そうと重ね訊けば、一休はこくりと頷いて見せ。それへと“いい子だ”とはんなり笑ってから、
「だから、こうまで炎がのさばってる、しかも蓋をされた地中でも。水のエレメンツも風のエレメンツも、存在としてあるにはあるし、それをつかさどる精霊も、環境によって力の大小に多少の違いはあるが、ちゃんと全部がそろって存在している。」
そうでないと、そこが陽世界であれば負世界へと頽れて落ちる、取り返しのつかない“綻び”が出来てしまうからね。
「光玉だってそうだ。僕の生気できっかけとなる“核”を作り出しちゃあいるけれど、その後もずっと明るいままなのは、周りから“光”の素養が集まってのこと。」
こんな地中でもやっぱりちゃんとエレメンツはあって。光と闇は、水や炎より もちょっと高度な存在ながら。
「僕はちょっとした“事情もち”だから。」
そういうのへの特別な声かけも出来ちゃうんだと微笑った桜庭だったけど、
「…それなら、どうして。」
今まで隠していたのだろうか。なんでその力で水を集めなかった? 炎や火に絶対の効果のあるもの。それを意のままに出来るなら…ああまでの火柱は完全には消せなくとも、それなりに威勢を弱めることくらいは出来たはず。怪訝そうな顔になる一休へ、
「ただの炎だったなら、ね。それも出来たけど。」
今度はそのきれいな眉を下げてしまい、さも残念そうに声を落として。
「ただの炎、熔岩系の熱で上がってた火柱だったんなら、此処にいるだろう水の精霊に何とか声かけて、大きな洪水を起こすって格好で消すことも出来なくはなかったが。」
ちろりとドラゴンのほうを見やり、
「どうやっても集まってくれないなと思っていたら、どうやらあれを怖がってたらしくってね。」
自分は堂々と力の限りに腐した相手だが、小さな精霊たちにしてみれば恐ろしいまでに巨大な相手だから。そんなドラゴンが居たんじゃ、空中から水の素養を集めてってな方法で炎を押さえ込むことも難しかった…と、そうと言ってる桜庭であり。
“…いくら白魔導師だからって、そこまで出来るものなんだろか?”
一休が知っているのは、攻撃の咒の他というと…大地の気脈を水晶のダウジングでなぞって水脈を探すとか、雲を見て雨の時期を占うとか、そんな程度の能力や咒だったから。この、一見すると役者のような華やかで嫋やかな容姿の青年が、けろりと言ったあれやこれ。いかにとんでもないことかに恐れ入りつつ、だが、そういえば。さっきの土壇場では、黒魔導師が自分を門にする障壁通過の咒を繰り出すぞなんて恐ろしいことを言ってもいた。やはり導師の葉柱が“そんな非道な荒業は禁じ手だ”と怒っていたほどながら、されど半端ではない威力のそれだとは、微妙に門外漢の一休だって承知の 上級咒。
“金のカナリア…とかいうのに連れ添ってたお人だもんな。”
やっぱり一筋縄では行かない御仁ではあったかと、更なる驚きと尊敬の念が高まったところで、
「…じゃあ、やはりあれには敵わないのか?」
周囲の炎が振り撒いていた熱波、桜庭の手にある扇がまとった水が多少は宥めてくれているらしく。こうまで効力があるというのに、炎には効かないとはと理屈が訝しくはないかと訊く少年へ、
「炎の精霊にだけ力を借りてっていう豪火じゃあない。熔岩を実弾にして、手びねりして投げたような相手だ。生気の桁が違うその上、土の精霊にも縁深い相手だからねぇ。」
「土の、精霊?」
何だかややこしい、理屈のような、法則のようなものが関わってもいるようで。
「そう。だから、物理的な攻撃で叩くか、もしくは…。」
そんな悠長な会話、相手へも届いていたものか、
《 小癪な真似をっ!》
…さっきの鉄扇での防御を言っているのなら、さすがはドラゴン、体が大きいから状況把握にも時間が掛かっている模様、だとか?(苦笑)
《 人間などという卑小な器に収まってしまったような輩、
どんなに足掻いたところで、この俺に敵う相手ではないわっ!》
どれほどの大きな響きであるものか。その巨躯の両脇に いまだ立ちのぼっている火柱が揺らぎ、窟内がびりびりと震えたほどもの大恫喝と共に。城の正門の跳ね上げ橋を思わせる、そりゃあ大きな口がかっと開いて、その内部がぐんぐんと、白熱の高さを示す照度を上げてゆく。
「…来るな。」
「え?」
低く呟き、鉄扇を今度は前後へとずらし重ねるようにして構え、何かからの衝撃へと身構えた桜庭の反応から、一休が息を飲んでその背に顔を伏せる。
「いいね? さっきも言ったが無闇に僕の背中から出ないこと。掠めただけでも大変なことになる。」
「は、はいっ!」
小さな恒星のような炎弾が来るのだと、その鋭い声から察したと同時、だが、逃げはしない桜庭なのへも畏敬のようなものを感じてしまう。
『こいつが君を傷つけたり、
あまつさえ、妖一たちを追ってって向背から襲ったりしては困る。』
彼もまた、あくまでも“戦う”ために居残ったのだというのをひしひしと思い知り、
“………これまでのずっと、困らせててごめんなさい。”
全部に決着がついたなら、きっと。ちゃんと謝らなくっちゃと、堅く堅く心に念じた一休少年であった。
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*なんか、一休くんというよりも虎吉くんって設定に
しといた方が良かったみたいな展開になって来ましたな。(う〜ん)
ここは桜庭くんにも見せ場をと思いつつ、
いきなり三足にまでワラジが増えちゃった反動で、
更新するのがますますのこと ど〜んと遅れてすみませんです。 |